東北旅行記-復興はまだまだ始まったばかり!:南三陸町/登米市

この3連休は宮城/岩手へ行きました。

観光というよりも(もちろん観光目的ですが)、今まであまり積極的にやってこなかった復興支援をやりたい、でも現地見てないので実感がわかない、というのを解消するために伺いました。

復興支援で何かできないかなと思ったきっかけは、Googleがコーディネイトしているイノベーション東北にとあるイベントで登録したことです。

イノベーション東北については、こちらをご覧ください。要するにITやデザインのスキルで東北復興を応援しよう、そのマッチングをGoogleがやるよというものです。

自分のスキルが活かせるプロジェクトがあれば、積極的にやっていきたいと感じ、そのためには現地の状況をまずは感じたいと思ったから、今回の旅行になりました。

全体的な感想

私の感覚では、もっと復興しているのかと思った、まだ全然復興してない!という感覚です。

阪神大震災の時は、半年後と4年後に行ったのですが、4年後には「ここで本当にあんな地震が起きたの?」というくらい街は元に戻っていましたし、人間の力ってすごいんだなと感じたのを覚えています。

例えば、南三陸町では津波が到達した場所がはっきり分かるくらいです。
津波が到達した場所は、いまだ更地で工事現場そのものです。

印象的には、ようやく瓦礫が無くなったなという感覚です。

もちろん多くの方々が様々な形で復興に携わっていて、この3年間で進んでいるのだと思いますが、阪神大震災の時とは違う、津波の影響がここまで復興を難しくさせるんだと感じました。

南三陸町

南三陸町は平成の大合併でできた新しい町で、ルーツを辿ると、「志津川地区」
「歌津地区」、「戸倉地区」の3つに分かれるそうです。

上の写真は、志津川地区にある「南三陸さんさん商店街」です。

合併前は旧志津川町が一番大きく、現在の町長も志津川町出身だったこともあり、他の2地区と比較すると志津川地区が圧倒的に復興しています。

歌津地区の復興商店街にも行きましたが、南三陸さんさん商店街が何倍も大きかったですし、土地の造成進捗だったり、建物の多さも志津川地区が一番です。

しかし、そんな志津川地区でも住宅の建設や商業地区の建設はまだまだこれからといった印象です。

南三陸さんさん商店街がメディアに取り上げられるので、あんな感じで南三陸町全体が復興してきているのかと感じますが、商店街の周りは全て工事現場と言ってもいいくらいの状況です。

南三陸町防災対策庁舎

メディアで沢山取り上げられた有名な建物です。
3階建ての庁舎は鉄筋以外何も残っておらず、残っている鉄筋もぐにゃりと折れ曲がり、どちらから津波が来たかが分かります。

3階建ての屋上ギリギリまで津波が来たことを示すその建物は、自然の威力を感じさせ、その威力を忘れさせないためにそこに立っている気がしました。

現地では、この庁舎を残すか残さないかという議論があるようです。

住民が思い出したくないから残さないでほしい、という意見はとてもよく分かります。
ただ、私はこれは残して、私のようなまだ復興の現場を見ていない沢山の人たちに見てほしいと感じました。

南三陸町新規宅地造成地区

これから新築で家を建てる人たちのために、国が山を切り開いて作った宅地造成地区にも伺いました。

震災以前のコミュニティーを壊さないために、同じエリアの家庭は同じ造成地区に引っ越すようにクローズドで土地を販売するようです。
そこで話し合いを経て、誰々さんがどの土地に引っ越すということが決められるそう。

被災し、何年も仮設住宅で暮らしたことを考えると、違う土地でも早く自分の家で生活していただきたいと願ってやみません。

キラキラ丼

キラキラ丼

南三陸町さんさん商店街で有名なのが、キラキラ丼。
季節によって違うものが上に乗るのですが、冬はいくらが乗ります。

そのいくらが、まぁうまい。
まず、いつも食べてる醤油漬けではなく、生のいくらなので、いくら本来の甘さがあってとてもおいしいのです。

本当にキラキラ丼の名前に合うような、いくらがキラキラしたどんぶりでした。

登米市

登米市は、南三陸町の山側に位置する人口9万人くらいの街です。

南三陸町から被災して、登米市に来た人たちは、その被害の小ささに愕然としたくらい、震災の影響は少なかったそうです。

私は、登米市のホテルに泊まっていたのですが、観光する場所はないので、夕食を取ったくらいでした。

登米市は「油麩丼」がとても有名なのですが、これがとてもおいしいのです。
私が食べたのは油麩丼ではなく、油麩の卵とじでしたが、油麩の香ばしさがたれの甘辛さと相まって、ほんとうにご飯が進む一品です。

最後に

石巻の大川小学校も訪問しましたが、今回の訪問で一番津波のひどさを感じた場所でした。
ただこの思いは、文章では伝わらないので、書いておいて公開するのをやめました。

今でも全壊した小学校がそのまま残っていて、津波がなければ楽しい未来があったであろう、沢山の亡くなった児童たちの無念さがそこに残っているような、そんな雰囲気でした。

関東に住んでいると、東北を一括りにして考えがちです。

テレビで聞いた話ですが、今回の大震災では2万人弱の方が犠牲になっていますが、これが1つの大きな震災ではなく、2万件の一つ一つの震災であり、一つ一つにそれを悲しむ家族や親戚、友人がたくさんいるんだという認識を忘れてはならない、と聞いたことがあります。

一括りにするのではなく、一つ一つにストーリーがあり、感情があり、それに対していま自分が何ができるかを考えていく必要がありますね。

記事をシェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする